破壊王子

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記事一覧(74)

―したい、定期。

先ほどの投稿に関連して。定期的に自分を抹殺したくなるときってありません?笑「死にたい」ではないですよ。異論は認めますがベジータ様って穏やかになって幸せになったって言っても差し支えないと思うんです。もっと直接的な表現をすればブルマさんに出逢って幸せになったんです。初めの頃はさておきブウとの戦い以降はベジータ様本人も認めるでしょう、きっと。つまるところブルマさんは最愛の王子様に幸せを与えてくれる女神様というわけです。最早ブルマさんというよりブルマ様。しかし私は不完全な人間ですからできることならベジータ様の幸せの理由が自分でありたいのです。そんな矛盾を抱えながらも夢女子を続けていると時折自分をこの世から抹殺したくなるわけです。だから激痛の中周囲を気遣った最期だったと伺って不謹慎ながらも王子の姫が改めて魅力的なお人であったことに嬉しさなども覚えながら本当にいろいろ複雑で何もかも嫌になった。ただ本当に素敵な方でよかったなぁとは思ったよ。でも嫌にだってなるでしょ。王子様、ブルマさん大好きだからさ、明るさのなかに色気の混じった彼を救ったあの声がもう二度と彼の名を呼ぶことは無いと知ったらきっと大変に悲しまれるのは容易に想像がつくでしょ。私はどうしても彼らを彼らとしか見れないから真っ先にお嘆きになられるベジータ様のお姿が思い浮かんでしまって。一時は本当に変わって差し上げられたらよいのにって思った。あんなに多くの人に悔やまれて、なにより王子様がお嘆きになられてしまうような方がどうして、って。(生まれた直後はさておき)何年も人生積み重ねたら命の価値はその人の努力とかによってどんどん差が開くから最終的に平等じゃないと思う。だから本当は生きるべき人が生きた方がいいのにね。そんな人がいなくなってしまってつらい。私は別に積極的に死にたいとか思ってはいないけれども特に生きる理由もこれといってない。無駄死にはごめんだけれどもね。だから彼らの栄光のために、特にベジータ様の幸せのために命を差し上げることができたら私にとってそれ以上の幸せはないしきっとそれ以上名誉なこともない。でもそんな技術はないし私は未だに彼らを彼らとしてしか見ることができなくて直接ブルマ様の安否の心配に走ってしまうだけだから論点も思いも全くズレているのだろうけれども頭と心がバラバラなのでどうしようもない。そもそも私の頭と心は絶対にバラバラなのだよね。ベジータ様の幸せを祈りたくとも祈れない自分がいる。どうしようもなく好き。この矛盾の唯一の解決策。でもまだやりたいことが無くも無いのかもしれない。私自身はベジータ様の為以外の理由で死ぬのはゴメンだ、本当に。ただ自分という存在がどうしようもなく嫌な自分がそこにいる。せめてどちらか一意見にまとまってくれたまえ。結局いつもの通り何が言いたいのかよくわからなくなったが寝よう。ここはただのつぶやきだ、構わない。See you

座間事件。

架空の読者様、お久しぶりですこんばんは。しばらく前からトップニュースである座間事件。とても恐ろしく、そして身近な事件だと感じ日々思いを巡らせておりました。現在事件を受けて様々な対策を講じていらっしゃる大人の方々に私個人の意見ではありますが、若者世代の声が届き何かの役に立てればよいなと思い現在被害者の彼女達に近い時代を生きる自分が感じたことをまとめました。拙い文章ではありますがお付き合いいただけましたら幸いです。※あくまでも筆者個人の主観であり一般論ではありません。※本記事で取り扱う座間事件の概要に関しては地方新聞から得た情報が主です。※本記事では新聞記事の内容を真実と考え、報道の偏りなどは考慮しておりません。※筆者の主観であるため男についての考察は一切ありません。1,「死にたい」とは2,若い女の子は大変3,死神に心を許す理由(推測)と対策の難しさ4,最後に1,「死にたい」とは <意味と原因>今回の事件はSNS上の自殺願望をほのめかす書き込みをした少女に対して白石容疑者がコンタクトをとったことが殺害につながったとされている。試しに筆者もTwitterで「死にたい」などのワードで検索したが明らかに自殺願望とは無縁なツイートを無視しても少なくとも数分に1回程度はつぶやかれているように思う。鍵垢やそもそもSNSに書きこんでいない人も考慮すれば「死にたい」と考えている人は結構いると思う。というより誰でも一度くらい「死にたい」と考えたことがあるのではないだろうか?(”誰でも”の部分に関しては主観で根拠は特にありません)しかし「死にたい」と一口に言っても実はそれは多様な意味を持つ言葉だと思う。私なりにいくつかの意味と原因を考えて下記にまとめた。①文字通り「死にたい」例えば毎日借金取りが家に来ていつ殺されるかわからないとか大切な人を失ってしまったとか、明らかな原因があって死にたい人。このタイプは借金を帳消しにするとか(非現実的ではあるが)死人をよみがえらせるとか死にたい原因を取り除けば死にたいという願望は消える。②漠然とした不安と恐怖「生まれたくなかった」人並みの生活を送っており、周りから見れば死にたい理由がわからない。本人さえ理由が分から無い場合もあるのがこのタイプ。そして今回の被害者たちや所謂病みツイといわれる類の「死にたい」の大半はこちらだと思う。本記事では以下この②を「死にたい」として進めていきたいと思う。2,若い女の子は大変もちろんどの世代も悩みを抱えて生きていると思うが今回は筆者自身の属する「若い女の子世代」に焦点を当てて、彼女達の大変さについて書いてゆこうと思う。※本記事では「若い女の子」を「中高生~20代前半」と定義しています。<若い女の子の苦悩>①そもそも青年期と女性は情緒不安定になりがち②突然大きな決断を迫られる高校3年生③歳を重ねるごとに感じる容姿差別ほかにもまだまだあると思うが今回はこの3点について書いてゆきたいと思う。①青年期と女性は情緒不安定になりがち保健体育や倫理の時間に青年期について習った人も多いと思うがこの時期は第二次性徴などにより男女問わずなにかと不安定になりがちな時期のようだ。それに加え女性には生理周期というものがあるためそもそも青年期の女性が不安定なのはある程度当然のことなのだと思う。②突然大きな決断を迫られる高校3年生高校三年生になると今までの幼小中高への進学などとは比べ物にならないほど重く大きな選択を課せられる。18年弱生きてきたとはいえまだ子供な面もあり、正直怖い。人生が途方もなく長く恐ろしいもののように感じられる。そしてこれが先ほどの「死にたい(=生まれたくなかった)」につながるのだ。どうしてこんなに長く暗く怖い道を進まなければならないのだろうか。気が付いたらこの世界に生まれ落ち、人生というゲームの参加者になっていた。勝手に参加者になっていたのに、ゲームを終わらせるためには一瞬かもしれないが相当苦しく恐ろしい思いをする必要がある。怖いから死ぬのは嫌だけれどそもそもゲームに参加したくなかったのでだったら初めから生まれたくなかったという答えにたどり着く。(何度も言うが決して死にたいわけではない。怖いのと痛いのは嫌いだ)③容姿差別推測だがこれは本人の美醜には関わらない悩みだと思う。佐々木希さんや長澤まさみさんほどのお顔ならば無縁かもしれないが世間的に見て十分かわいい女の子たちの多くもきっと多かれ少なかれ悩んでいるのではないだろうか。学年が上がるにつれて容姿による扱いの差は顕著になりがちだ。少なくとも私の通う学校では大まかではあるが美醜が区別されている。無論表立って容姿を批判することはないが、学年が上がるにつれて「容姿を褒める」という行為が増えるため自然と褒められる子とそうでない子(と自虐に走る子)に分かれるのだ。しかも高校ぐらいになると先生(主に年配の男)も本人たちは意識していないのだろうが容姿差別を始める。例えば最近では「希望の党」の「小池百合子氏」に対する私の学校のある先生の発言が好例だ。(失礼ながら)少々やりすぎてしまった感の否めない小池氏。授業中に彼女の一連の行動についての話があがった際の先生の発言は私にとって衝撃的だった。「あの厚化粧(小池氏のこと)、どう思います?怖いですね~」だいたいこんな感じのことを言っていた。少々自分自身が過敏な時期であったこともあるだろうがあそこまで上り詰めた女性でも容姿(この場合厳密にいえば化粧だが)からは逃れられないのかとショックを受けた。これは一例であるが、実際男の先生には議員さんなど活躍する女性の容姿批判を平然とする人が多いと感じる。そんなこんなで学校で、友人や先生から容姿差別について学んで苦悩するのだ。(主観であるが女性は男性以上に容姿を重要視されている気がする。 それゆえ苦悩も大きいと考えていただければよいかと思います)3,死神に心を許す理由(推測)と対策の難しさ最後に白石容疑者のような見ず知らずの人に心を許してしまう心理と根絶の難しさについて書いてゆこうと思う。まず、こんな状況を想像してほしい。「顔見知り以上親友未満」の友人が定期的に「死にたい」と相談をしてくる。そして大泣きしたかと思えば2,3日後には何事もなかったかのように笑っている。そしてまたしばらくするとまた同じような相談をされて… ということが何度も何度も続く。はっきり言って嫌にならないだろうか?まぁ相当に大切な人なら話は別かもしれないがそれでも余りにもそれが何度も続いたら突き放したくなってしまうのも仕方が無いと思う。貴方も人間だ。例え優しく話を聞いてあげたとしても多少は疲れが態度に出ると思う。だがもし回数が「2回/各1時間」とわかっていて報酬が「1000万」だとしたらどうだろうか?それくらいなら完全な善人でいられるのではないだろうか?そう、白石容疑者に引っかかる理由は彼の優しさは「有償」でありその上「期限付き」であり且つ相談者側がそれに気が付いていないからだ。私はそれが一因ではないかと考えた。容疑者はその相談が「有償」であり「期限付き」であることを知っていたから相当相談者に優しくすることができたはずだ。しかもネットならば表情の僅かな動きなどはわからないから疲れも顔に出ない。それが大きな一因だと思うと同時に対策の難しさともつながると思う。実は私は何度かカウンセリングというものを受けたことがある。1回1時間のカウンセリングだったのだがもう懲りた。なぜなら確かに親身ではあったが、申し訳ないが仕事だというのが相談しているこちら側にも態度などで感じられてしまってカウンセリング後にも晴れない気持ちが残った。別に先生に問題があるわけではないし、はっきりいって当然のことだと思う。ただそれでも当事者としてはなんともいえない気持ちだったしカウンセリングを利用するのはもういいかな、と思ってしまった。そんなわけで個人的には相談所などの策はあまり効果が出ないのでは?と感じてしまっていたりする。(そしてそれが反対に彼が相談者たちの心を開いた原因にもつながる)4,最後にこんなに長々記事を書いたのにも関わらず申し訳ないが特に具体策を思いついてはいない。ただ一つ言えるのは、私の病みツイの自由と安全を奪わないで欲しいということだ。こんな恐ろしい人が現れては呑気に?病みツイもしていられないではないか。自分の中のもやもやした気持ちを言葉にすることがどれほど楽になることか。言葉にして、それを視覚的にとらえることで気持ちの整理も尽くし、何よりネットという空間に流すことで知人に迷惑をかけることなくなんとなく誰かに相談した気になれる。wordでは意味がないのだ。そんなわけでお偉い方々、こんな怖い人が二度と世の中に現れないように策を講じてください。丸投げで申し訳ありませんがお願いいたします。

聖人君子と女。<後編>